「強い女」にされてしまったハーレイ・クイン -『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒/BIRDS OF PRAY(2020)』-

苦手なDC映画を懲りずに見に来て、またもビミョーな気持ちになりました。

硬派や真面目な路線ではMARVELに勝てないんだろうけど、ジョーカーとかダークナイトとか、陰気な映画を撮っててくれたほうがまだマシだわ。
DCの専売特許は悪と正義の在り方を問うところと、太さでしょう、太ももの。

たぶんどうせワンダーウーマンでも合わねぇ!って文句言ってると思うけど、私のお家芸なのであたたかく見守ってほしいと思います。

1.「悪」を描きたい昨今のDC映画

「スーサイド・スクワッド」、「ジョーカー」、「ハーレイ・クイン」と、DC映画は昨今、「悪の主役」がアツイ。
特にジョーカーでは、悪になろうともしてなかった者が悪のカリスマとして完成するまでを描き、大ヒットを飛ばしました。

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うーん、しかしハーレイ2作に関しては…
「世界一のワル」を名乗るに値するようなワルではないんですよね…彼女は…。

窃盗、暴力くらいかな。特殊能力もなく、何かしらの打算的な計画もなく、衝動的に悪事を働く。
男で言うなら恐らく、チンピラで終わる程度の存在です。

ただジョーカーの恋人という立場にあったためにウラ世界での権力も持っていて、しがらみなく好き放題できていた、と。

ですよね?

なのでジョーカーとあっさり別れた今作のハーレイは「ジョーカーの女」というデカイ後ろ盾を失っており、ただ場当たり的に進むだけの存在になっています。
少女を匿ったり、反省したりする人間らしいところもチラッと見せたり。

また、匿われていたおじさんに保身のために裏切られ、悲しそうな顔を見せるシーンもありました。
イヤイヤなに「信じてたのに…」みたいな顔をしてるんだ。犯罪者が被害者面するな。
こんなの、おじさん何も悪くないですよ。

息をするように他人に迷惑をかけ「世界一のワル」を名乗っておきながら、犯罪者の自覚すらないのはちょっと呆れました。

自分がそれに値することをしてきたことを、理解もできてないんだ。
ワルを働けば働くほど人の道を外れるので、代償としてまともな人間生活を失うのは当たり前です。
まぁ「極悪」という概念の定義は人それぞれかとは思いますが、それにしても、「自分の行為がどれくらい悪なのか」を客観的に理解できてないのは、ワルの才能に欠けてるなと私は思いました。

2.ポリコレがめちゃくちゃ強い

男と別れても一人で生きていけるし、今からは男のためでなく、自分のためにオシャレする。
バッタバッタと男を倒しながら我が道を進むハーレイ。

下ネタのTシャツを堂々と着るし、手柄だけ持って行く男に対しての、実は仕事のできる独身中年女性。本編とはほとんど何も関係ないが同性愛者。

男顔負けに強いイタリア系の女暗殺者。
性格は真面目で男はバンバン殺すが、なぜか女性グループには加わる。

男の庇護下にあったが実はめちゃくちゃ強く、囲まれても一人でやっつける。
特に理由なくハーレイを助けてくれて戦うユダヤ?アフリカ?系の女性。

自分の力で生き抜いていくしたたかなアジア系少女。

みんなで力をあわせて倒すのが男尊女卑の白人男性たち(笑)

女の子たちの生い立ち、ほぼダイジェストで喋られただけなんですが、この大集合まわりの展開でこの子達のファンになれた人、居ますかね。「こういうタイプの子が元々好き」以外で。

ハーレイがバリバリ女の子のテンションで勝ちまくるアクションシーンはまぁ、楽しかったですが、それにしてもこんなオシャレで恋愛脳な、か細い女の子がですよ。
血の気の多そうな男に囲まれて肉弾戦で無双するの、ご都合フィクション過ぎるんよ。

キャプテン・マーベル、わりとよく「強すぎてありえない」みたいなこと言われてるのを見るんですが、すごい石のパワーで強くなったって説明されたじゃん

筋トレもしてないのにバッタバッタと男を倒すハーレイの意味が私はわからん。いつ鍛えてるの。

「現実と比べてありえるか」とかじゃなく、「なぜそうなったのか」をそれらしく説得して欲しかったんだ、私は。

唐突にブラックキャナリーが衝撃波吐いたり、ブラックマスクがいきなりマスク被り出したり「は!?」ってなる瞬間もとても多かった。
序盤でグラスにちょっとヒビ入ってたり、顔の皮を剥いだり…みたいなフラグはあったけど、それをアメコミ的な展開にいきなり繋げるフラグにするのは無理があるなと思っちゃった

一応パンフレットに「ハーレイは原作では体操選手だったりしたことあるから動ける」って書いてありましたが、体操選手を何だと思ってんだ

ブラックマスクも、ハーレイと仲悪いんだな~。ハーレイが負けたらこういう殺し方する奴なんだな~。くらいの敵でしかありませんでした。
「極悪vs極悪」というアオリだった割にはこいつ自体がめちゃくちゃ悪い奴という描写はなく、ただ「ジョーカー居なくて均衡が崩れたワルと衝突しました」以上のアツイ対立関係はないようでした。
一昔前ならゲイリーオールドマンだなというのはわかりました

邪推すれば、「アジア人女性初のアメコミ映画監督!」と打ち出したいがために、新人の無名監督の起用ありきで無理やりベテランと広報を固め、監督の力不足をカバーしつつ体裁を保っているように見えました。

華のある主演女優マーゴット・ロビーや、ジョン・ウィックのアクション指導、一流の美術さん諸々を呼んだら、ここまで大作らしくなった。
と、思うような雑な展開が多く、ポリコレ要素だけはキチンとすべて揃っていることに違和感を感じます。

…まぁでも、時代が時代なので邪推してしまうだけなんですけどね。
どれだけポリコレっぽくても「だからつまんない」の根拠ではないし、「人種が揃ったのはたまたまです」「あなたがポリコレ棒を意識しすぎです」って言われたら「まぁ、そうね」と納得するしかない話なんですが。

ただもう、ハーレイがジョーカーと別れてるのは「男に頼らず一人で生きていける現代の象徴的な女を描きたい」「女が恋愛だけしか考えてないと思われるのはもう沢山」みたいな主張を込めてる以外の、どういう結論に至ればいいのかが本当にわかんねぇ。

本作を見た後、スーサイド・スクワッドを改めて見直しました。
薬品のなかに落とされたり車で引かれそうになったりしても、何度でも戻ってきて、「あなたのものです♥」「あなたのために死にます♥」ってやってた女、どうやってジョーカーから引き剥がしたんですかね。
これ、家から蹴り出されたくらいで諦めるようなタマじゃねぇだろ。どう考えても。

スーサイド・スクワッドで「愛」を語っていた彼女がそのアイデンティティをかなぐり捨ててポッと出の女たちとグループ結成するくらいなら、ハーレイvsジョーカーでゴッサム巻き込む痴話喧嘩してくれたほうが絶対おもろいよ

誰だよ突然ブラックマスク。ジョーカーと渡り合ってた女の敵に持ってくるには小物過ぎる。

流石にこれは本作で、彼女の格が落ちたと感じました。

3.ハーレイとジョーカーの破局について

ジョーカー役のジャレッド・レトがメソッド型俳優すぎて製作側が持て余し、彼の肉体に再びジョーカーを憑依させることに否定的だった、という事情もあるかもしれません。
どっちにしろ、大人の事情ってつらいね。

私は本作の最後にジョーカーが現れることを少し期待したりもしましたが、結局本当にフェードアウトのようで、今後2人がヨリを戻す希望もなさそうです。

参考記事

映画「スーサイド・スクワッド」の現場でジャレット・レトが見せたクレイジーな行動5選
彼はメソッド・アクティングを取り入れており、どんな役であろうと撮影期間中はキャラクターになりきり、健康を害しても体型を変えるといった没頭っぷりでも有名です。そんなジャレット・レトが映画「スーサイド・スクワッド」のジョーカーを演じた時に見せたクレイジーな行動の数々をご紹介します。

しかし私は、「ポリコレじゃん。はい終わり」で終わらせてしまうのは、イヤでした。

ハーレイとジョーカーが破局したことについて「大人の事情」以外で、作中からの情報だけで、考察を入れておきたいと思います。 考察オタクのプライドです

原作の知識はほどんどないため、以下及び今までの記述で「原作でこうだからだよ」があれば申し訳ないですが、映画だけ見た人としては知ったこっちゃない現時点で考察に入れておりません。

今作では、ハーレイの生い立ちが簡単に紹介されました。

元々素質があったとは言え、精神科医をやってたところまでは(一応)普通に生きていた。
彼女の「ワル」としての生き方はジョーカーと出会った時に生まれたものです。

それ以降、彼女の人生には常にジョーカーがいた。
ジョーカーの居ない状態で「ワル」として生きていくのは、彼女は初めてなのです。

今まではジョーカーのために生きる道がそのまま「ワル」としての道だったけれど、今はわざわざ「世界一のワルはハーレイ・クイン様!」と名乗りをあげなければいけないくらい、彼女には「ワル」であるための理由がありません。

ワルでいる目的はないけど、お金がないし、物は欲しいし、敵に追われる。
困った案件が降りかかってきたときにまともな道を選ばずに、人から盗ったり、暴れたりする、だけ。
実際、彼女自身が戦うのが好きということでもないので、「アクション映画」を名乗るには本作のアクションは少ないです。

彼女が「ワル」なのは、ほぼ元カレの影響です。

「華麗なる覚醒」というのは、「男が居なくても平気な女」への覚醒ではない。「そこを目指すしかない」ための、理想の言葉です。

明らかに放り出されているのに「円満に別れた」と強調する。
思い出の物を捨て、「平気だよ!」「覚醒した!」と主張する。
虚勢を張りつつも元カレのいた世界から足を洗うこともできず、その場しのぎで生きている。

今までの彼女は一見、ジョーカーに依存している女に見えたかもしれません。
ですが、「スーサイド・スクワッド」での「人を愛したこと、ある?」という言葉が彼女のアイデンティティであったなら、「どれだけ蹴飛ばされても彼を愛している」というのは、あるがままの自分に素直に生きていたことに他なりません。

「人に愛されるような人間じゃない」と拒絶するジョーカーの言葉を「はい、そうですか」と聞き入れず、陥落させたことこそが、彼女のイカれている部分だったはずです。

2人の間に何があったのか全く描かれていないため、彼女がジョーカーをなぜ諦める気になったのかはわかりません。

ですが、ハーレイはジョーカーを嫌いにはなっていない。恐らく、もう関係修復が不可能であることは理解していて、嫌いになろうと努力をしている。

今までの自分でなくなろうとしているのに、依存体質だけが残っている。
何に依存していいかわからない。
新しいペットを飼ってその名前を首に巻いたり、匿ってくれたおじさんを信じてみたり、ろくに誰かも知らない女友達と薄い関わりを築いている。

ジョーカーと別れた彼女に残ったのは、身体能力と服のセンスだけだった。
だからこの映画は、ハーレイの悪カワイメージビデオみたいになってるのだと思います。

こんな状態を「覚醒」と呼ぶのは、めちゃくちゃ皮肉だなぁ。
きみはジョーカーを本当に吹っ切るなら、まず「ワル」から更生したほうがいいと思う。

パンフレットでマーゴット・ロビーがジョーカーから元気?ってメールが来たら、彼女はすっ飛んでくと思う」って言ってました。

でしょうね。

マジでその通りだろうなと、私も思います。

ジョーカーと引き離されたあと、まだ彼女は自分の道を見失って、結論もアイデンティティも見出だせていない。今のところ、「覚醒」したと、強がっているだけ。

次回作、監督が続投して「ポイズン・アイビーと絡ませたい」とかはしゃいでいるようですが、じゃあ彼女は一人立ち路線をやめて、結局新たな愛を見つけるんだろうか。

おいおい依存先、同性ならいいんか?

また文句を言うため、見に行きたいとおもいます。

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