インフィニティウォーへのアンサーはなんだったのか -『アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)』

インフィニティ・ウォー公開当時に書いたエントリー


1.ヒーローだからこそ負けたアベンジャーズ



アベンジャーズは「インフィニティ・ウォー」において、ヒーローとしての選択の間違いを何一つ犯さず、負けました。

自分の身内より大勢の他人を守り、誰かを殺すなら自分が死んで、失った犠牲を自分の背に負い、後先より今この瞬間の人を助ける選択をする。

彼らはヒーローとしてずっと、作戦や目的よりも、目の前の人の命を優先してきました。

ロキが兄を捨てて逃げていれば。
クイルが冷静にサノスの籠手を外していれば。
ヴィジョン共々マインドストーンを破壊していれば。
ソーが一撃でサノスの首を落としていれば。

彼らはたしかに、全力で戦っていた。
彼らの足を引っ張ったのは、ヒーローとしての自分たち自身でした。

たくさんの命、自らのすべて、愛する娘さえ犠牲にして、目的だけを見つめて進んだサノスの勝利は、必然だったと言えるでしょう。

当時私はアベンジャーズの勝ちの目が見えずに戸惑いました。私が考えられる限り、勝利のために必要なのは

・サノスと同じく目的のための犠牲を選択すること
・ヒーローとしての選択をしなくていい状況が運良く発生すること
・単純に戦力が増強されること

の3要素のいずれかしか考えられなかったからです。

でもそれでは、サノスと違うからこそ負けた「インフィニティ・ウォー」のカウンターにならない。

だから、

アベンジャーズはサノスとは違う。
ヒーローだからこそ負けたが、ヒーローのやり方を貫き、ヒーローだからこそ勝利するのだ。
これが我らの「アベンジ(逆襲)」である。

というアンサーを、行き詰まった私の考えをブチ抜く答えを「エンドゲーム」に(勝手に)期待していました。

ところが…

フタを開けると、

・サノスと同じく目的のための犠牲を選択するストレンジ(トニーの犠牲ありきの勝利の道)
・ヒーローとしての選択をしなくていい状況が偶然発生する(運良くネズミがボタンを押す)
・単純に戦力が増強(キャプテンマーベルが参戦する)

という、行き詰まった私がたどり着いた3要素からの勝利。

「エンドゲーム」は、「インフィニティ・ウォー」の敗因を経てのカウンターではありませんでした。

いやもう、5億点の映画ですよ。不満なんてひとつもないけどさぁ。

しかし、虚を突かれました。
インフィニティ・ウォー」に対する私の考え方は、間違っていたのか ?

勝利した敵と同じ道を選択し、運と増援パワーで勝つのが「エンドゲーム」の答えなのか?

2.鍵となったドクター・ストレンジ

最も驚いたのがストレンジの「1400万の1」でした。
まじでそれが正解だから差し出しただけだったの!?

そりゃあ、未来が見える人にしかできない役割だし、彼あっての勝利だし、最小限の犠牲に留めた、彼の功績ですよ。
だけども、そうなんだけども、それはヒーローよりサノスに限りなく近い。

「この場でトニーを殺す」が1400万の1の唯一の道だったとしたら、ストレンジはあの時、トニーを殺していたのか?

もし人口増加が起こり、人間が苦しみ滅ぶのならば、彼は人口を半分にするのか?

「インフィニティ・ウォー」を見返したところ、「私は勝利のための犠牲をともなう覚悟がある」という意味のことをハッキリ口にしたのは確かに、サノスとストレンジだけでした。

犠牲の最も少ない道を選ぶ。
たとえ、犠牲になるものがゼロではないとしても。

という彼の道は、ダークディメンションの力を借りてでも、この世界を守る。という、エンシェントワンの覚悟をキチンと受け継いでいるんですね。

綺麗事ばかりでは目的は達成できない。
平和は、犠牲の上に成り立っている。

目的を最優先に行動するのはヒーローではなく、ソーサラースプリームだからです。元々アベンジャーズとソーサラースプリームは表裏一体で、別のやり方で、別の物を守っている。
しかし彼は、その2つを兼任している。

じゃあ彼は、アベンジャーズとしてはどういう選択をしていたのか?

3.エンドゲームには、「逃げ惑う民衆を助けるヒーロー」という画がない

アイアンマンのお面をつけた子供の前に現れ、敵を倒して去るアイアンマン。
バスから民間人の救出活動をするウィドウとホークアイ。
銀行に閉じ込められた人々を助け出すキャップ。

「エンドゲーム」には、そういった描写がありません。

元々アベンジャーズというチームは、目的達成のために自ら集ったチームではないんですね。
彼らは単に、目的を同じくするヒーローたちの集合体です。

「彼ら一人一人はいびつな存在ですが、我々が正しく導いてやればうまく機能するはずです。」

「アベンジャーズ」ニック・フューリー

まず、中心となるトニーとスティーブでさえ、性格の相性はよくありません。
顔を会わせればケンカし、勝手な行動をして、雲隠れするハルクに、地球に居ないソー。

自発的にまとまるはずのない彼らを導きチームにしたのはシールドという組織であり、ニック・フューリーという男です。

考えてみると、インフィニティウォーで彼らの足が止まったのは、すべて「アベンジャーズ」「ガーディアンズ」として戦ってきた、ヒーローの誰かのたでした。

4.「エンドゲーム」は、「アベンジャーズ」というチームが完成する話

彼らはヒーローとして、皆人を守りたいと思っている。
目的を同じくしているのに、「シビル・ウォー」で対立します。民衆を守るためにどうすればいいかの、個々の意見の食い違いで。

目的が同じなのに、個々で手段を選んでいる。
ヒーロー達には、チームとしての行動の総意がありません。

犠牲になるべきヒーローが自分だったときには皆、犠牲になる覚悟がある。
でも、隣にいる人に「犠牲になってくれ」と言うのは、それ以上の覚悟が要ります。

ストレンジが先駆けてたどり着いたのは、ヒーローは民衆ではないということです。
隣にいる人も、ヒーローである。
自分と同じ覚悟がある。

ストレンジは、トニーと連携したのです。
ヒーローとして、アベンジャーズとして。

ヒーローから、ヒーローとして求められたトニー・スターク。いびつな存在の寄せ集めだった彼らが、自らチームとして連携する。

最早アベンジャーズを作った男ニック・フューリーが不在でも、キャプテン・マーベルが参戦し、チームは機能した。

一方で最初のメンバーナターシャにとっては、アベンジャーズはもうただのヒーロー同士ですらなく、家族であり生きる場所でもあった。

これがアベンジャーズの完成形。
ここに来て最終決戦の「エンドゲーム」こそが、満を持しての「アベンジャーズ・アッセンブル」なんですね。

5.アベンジャーズには心があった

2014年から来たサノスは現在の世界を知り、皆が犠牲を知らない、新しい世界を作りあげようとしました。
犠牲を払って平和になった世界は、犠牲を忘れないことに気付いたから。

つまり、石を使った2018年のサノスは、気づかなかったのです。ヒーロー達が犠牲を忘れて前に進まないことに。

サノスは、犠牲を忘れて前に進むことができる人だからです。

犠牲なしの甘い勝利などありません。
勝利のためには、避けられないものです。

サノスは、犠牲を払える。そして、それを是とできる。

アベンジャーズも、犠牲を払える。
しかし彼らはそれを忘れず、後悔し、思い出し、決して是としない。

だからアベンジャーズは諦めなかったし、最後には勝ちをおさめた。

ロキが命を差し出したいと思うソーが居て、
ガモーラのために我を忘れるクイルが居て、
ヴィジョンを生かしたいアベンジャーズだったからこそ。

サノスを一撃で殺さず、話をしようとしたソーと、全てを消され無言で消えていったサノスの違い。

アベンジャーズの泥臭いハートが勝利する「エンドゲーム」は確かに、サノスのスマートな「インフィニティ・ウォー」に対するアンサーだったんじゃないだろうか。


6.これからのヒーローたち

ヒーローとして戦い続けた二人の男、トニーとスティーブ。彼らはこの「エンドゲーム」でやっと、ヒーローとしてではない、自分の人生も生きることができた。


トニーは先に、スティーブは後から。

彼らの物語は終わったけど、自由になったソーの人生は始まったばかりで、彼ら先達の後ろ姿を見てきたピーター・パーカーのこれからも、そしてストレンジの信念も見届けなくてはいけない。

「平和が目的なら、どんな手段を用いてもいいのか?」

カエシリウスやモルドに、そのアンサーを突きつけないといけませんね。

アベンジャーズ以降の新たなチームには、「目的のために、時にはヒーローがお互いの覚悟を頼りに立ち向かう」という要素が加わるのかもしれません。

それはバラバラバラバラやってたアベンジャーズが最後の最後までできなかったことであり、奇しくも傲慢で独善的で孤高だった天才2人がたどり着き、次世代に渡す境地なのかもしれないな、と思います。

しかし、最も状況を把握してない男が最も重大な勝因というのがもうなんというか…

最高の映画…なんだよなぁ…(信者)

タイトルとURLをコピーしました