「帰ってくる」騒動に関するまとめ

こんにちはー。
ONEPIECE信者です。

これまでのあらすじ。


これがいろんな反響を呼びまして、なんだかかんだかスゴイことになりました。

元の記事の方は、ONEPIECEの中の差別表現批判がメインテーマだったようですが、私が「異議あり」だったのは「サンジが作者に推されてない」部分だったんだよね。
断定されてたけど、私の中ではそれはあり得なかったから。

実際に元記事を読んで、「ONEPIECEは読んでないけど、好きキャラが作者に推されてない気持ち、わかるわ〜」と言ってる人はめちゃくちゃ沢山いました。

それに「ちょ、ちょっと待って!」という気持ちで書いたものだから、「サンジは作者にちゃんと愛されてるし、ONEPIECEを今でも変わらずこんなふうに面白いと思って受け止めてる読者がいるよ、読まずに決めないでね」という主旨の記事でした。


まあそれで「腐女子を見下してる」「自分のほうがファンとして偉いと思ってる」とか色々言われたのは私の文章力のなさだけど、「なんか噛み合ってなくね?」と思った人、そもそも私は差別表現の部分は結構どうでもよかったので、大丈夫、私の言いたいことはあれであってるよ。


ただ、大量に貰ったリプライで「差別についてわかってない」ってお叱りがたくさんあって、まあそれは私の不勉強が悪かったです。

でもよく聞いてたら「ONEPIECEは読んでないけど」とかなんか「ん?」って思うことがあって、
「そもそも、があこさんはONEPIECEの中に差別表現があると思っていますか?」と質問されたことを受け、自分がONEPIECEの差別表現とされる描写についてどう考えてるかを書いたのがこれ。

それから、反差別を主張するフェミニストの方が以前に仰ってた「ONEPIECEに女性蔑視表現がある」という意見に納得いかなくて、自分が勝手に書いた反論がこれ。

また、元記事の方がわざわざ私に返信をくれました。
なんか、騒ぎを起こしてすいませんでした…。

http://www.twitlonger.com/show/n_1so15u元

そんないきさつでした。


でもまだ納得いかないことがあって、この半月、私は新しくツイッターのアカウントを作って、反差別界隈の人たちの意見や話し合いを見たり、自分も話したりしてました。

彼らは私がのんきにONEPIECEを面白がってる間に、ケンケンガクガクずっとやってた賢い人たちです。

ずっとケンカしてるみたいだよ。

この界隈ではざっくり分けて「フェミニスト」と「規制反対派」が争いをしていて、つまり今回の件で迂闊な発言をした私は、そこに巻き込まれたような感じらしい。

彼らは日々新たな議論のネタを探していて、ONEPIECEは目に入ったついでにぶん殴られたようです。

でもまあいい機会だよね。機会は逃さず勉強しとこう。


知りたかったことはこちら。どれに対しても、私の中で大体の結論が出たのでこれが差別表現についての、本当の本当に最後のまとめです。
もうこれ以上のことを今後言うことはないと思います。

めっっっっちゃ長くなったので、ヒマな人だけお付き合いください。



1.差別表現ってそもそも何なの?

まず根本的に、「差別表現」の定義が何なのか、私にはわかりませんでした。
けれど、反差別を唱う人たちは声を揃えて「そんなこともわからないのか」「明白だ」と言います。教えて欲しいと言うと、「上から目線」だと言われます。


でも、そこが共有できていないことが原因で、私たちの間には障害が発生しているんですよね。

「どうせ伝わらないとバカにしている」か、「仲間うちでしか話していない」から、前に進まないんではないでしょうか。


知らんあなたに1から10まで話す義理はありません!って言うのはわかりますが、話しかけておきながら、真剣に話しあおうとすると突き放す姿勢、なんか…私がいうのもなんだけど、めっちゃ失礼じゃない?

でもまあ仕方ないので調べたり、会話してくれる人を頑張って探しました。


その結果、明るみになった差別表現の定義は

「特定のカテゴリ名で集団を分けること自体が差別」
「特定のカテゴリの集団を貶すことが差別」
「ステロタイプな表現で集団を表現したら差別」
「差別語とされる言葉を使ったら差別」
「不快に思う人がいたら差別」…。

人によって見事にバッラバラでした。


おいどこが明白や!

けど「私はこの表現は差別と思わないんだけど」と言うと、「ほら、わからない」「そうやって差別する側は人を踏みつける」と帰ってきて、「定義」についての議論をすることは絶対に出来ないんですね。クソゲーです。


こんな定義も決まってないなら、まだ「配慮」とか「規制」って段階に行くの早くない?

個人の不快感で規制とかできちゃったら、何でもありになっちゃうでしょ。流石に「明白」の基準は決めといて欲しいと思いました。


2.差別表現はなぜいけないの?

これについてもどうやら諸説あるようで、私が確認したのは以下の理由です。

不快に感じる人がいる(かもしれない)から」
「無意識に差別を刷り込んで助長するから」
「差別語そのものがなくなっていくべきだから

なるほど。

それじゃあまずひとつ目の「不快に感じる人がいる(かもしれない)から」について。

不快に感じた人が居たら、即アウト!?
どころか、「居そう」でアウト!?

き、厳しいな。
創作物ほぼ死ぬのでは。

これに基準をもうけるとしたら、苦しさのレベルにランク付けということでしょうか。
「お前の苦しみは大したことないので配慮はされません」って、他人に言われるんですかね?

それとも、苦しむ人数の多さで決めるんでしょうか。
マイノリティで苦しんでる人が、苦しい人を多数決で切り捨てるんですかね?

最初にも言ったんですけど、個人の「不快感」の主張では「お前の存在が不快」も通っちゃいますので、不快感という感情に権利を持たせるのは難易度が高そうですよ。
規制の基準はどこに置くのでしょうか。

次にふたつ目の「無意識に差別をすり込んで助長するから」

これは元記事の方が返信で仰ってます。

ワンピがこのまま描写を続けたら「オカマは奇抜な格好で面白くて強い、カッコよくて男前、迫ってくるから逃げていいんだ」と多くの人が思ってしまう、子供もそう思って育つのを助長してしまいます。それだけが「オカマ」の姿でないのはがあ子さんもわかってらっしゃるはずですがどうでしょうか。

うーん?

子供を含めて多くの人が刷り込まれてしまうのに、私だけにそうでないことがわかる?

「読んだ人が考える」可能性については考慮しないで、いいんでしょうか。
「考える力がある人たちが、考える力がない人たちのために、与えるものを選んで制限すべき」ってことですよね。

マイノリティに対しては「それだけがオカマの姿ではない」としながら、「多くの人はそう思ってしまうもの」と。

私は、「それだけが多くの人の姿ではない」と思いますが…。


最後に「差別語そのものがなくなっていくべきだから」という理由。

つまり、「差別的な意味を持つ単語は人の目に触れる機会を減らしていき、死語にしていこう」というものです。
「オカマ」というのが差別語ならば、もう単語自体、存在しなくていいよ、と。

あのね、単語って、同じ意味でも、同じ意味じゃないじゃないですか。

「誰が」「誰に」「どういうシチュエーションで」言ったかで、単語の意味は変わって来ます。
それを「文脈」と言いますよね。
なんなら、時代でもどんどん移り変わっていきます。

単語ってそもそも、文脈ありきで使われるものですよね?
本来は褒め言葉でも、それを使って罵倒することができるし、逆に罵倒語で仲を深めることもできるんだよな。

もし「差別しようとする意思がなくても、差別語を使用すれば悪」という主張が正しいとするならば、つまり「差別語」と「差別心」は、イコールではないってことになります。

ということは、差別語がなくなったところで、差別心は消えないんですよ。

「悪意がなくても言葉が悪い」?

悪意持ってる奴が悪いに決まってるじゃんか。「オカマ」を名乗りたい人だって居るはずなのに、なぜ、悪意のない人の言葉を奪って、悪意そのものを消すわけでもない手法に落ち着こうとするんだろうか。

それって、逃避でしかないんじゃないだろうか。


3.差別表現はどこまで配慮されるべきなの?

反差別を主張する方達の基本的な考えは、「一番不快で苦しい思いをする人に社会の基準をあわせる」ということでした。
とても優しい考えです。賛成します。

でも、「そのために他の人は蔑ろにしてOK」とされるみたい。

ここに反論しようとすると、「苦しい思いをする人を踏みつけるマジョリティ」になってしまいます。

例えば

「性同一障害は仰々しいからオカマと名乗りたい」
「真面目にとられたくないので、軽い話題にしたい」
「ONEPIECEのオカマ表現はアリだし、好き」

というマイノリティたちは、「でも不快な人もいる」の前ではあっという間に蔑ろにされます。


4.現状の反差別とは、「愉快」と「不快」に優劣をつけるもの

があ子さんやファンはワンピという素晴らしい物語を失うことになりますが、それだけです。

反差別って、「みんなで幸せになろう」という考え方ではないようです。

彼らは、「表現を変えても面白い作品は作れる」って言うんですよ。

いやいやいや…
流石に、もうわかります。あなたたちが次に言い出すこと。

「表現を変えてつまらなくなった?
でも、差別表現を含んだものが存在するよりマシだし、その程度で面白くなくなるなら必要なかったってことだね。めでたしめでたし。」

「古代兵器を呼び起こす可能性がある」ものは、「可能性から根絶やしにする」。

「差別を刷り込む可能性がある」ものは、「可能性から根絶やしにする」。

作品が危険をはらんだと認識したとき、その危険を、作品ごと薙ぎ払いに来ている。

そうして表現が犠牲になって、その結果世の中に平和が訪れなかったとしても、焼け野原を平然と踏み越えて行くでしょう。

あなたたちにはどうでもよくて、大した価値がないから。

4.私ができることは何なの?


今回の件で思ったこと。
私の解釈にはもちろん、「ONEPIECE信者のフィルター」がかかっています。

でも、反差別の人、フェミニストの人の視点にも、フィルターがかかっています。


マッドマックスやミッションインポッシブル、海外の作品で女性が活躍する作品が増えること。
いいことです。
でも、まだまだボンドシリーズもあるし、タランティーノもある。
時代のニーズで傾向はあれど、現代でも創作物は、正しさだけを追う市場ではありません。

別に「ジェンダー的に正しかったから楽しく見れた」という感想になる人は居ていいと思うけど、私は全く同じものを見ても、感想が違います。

反差別の人たちにとっては、反差別の視点の意見は「正解」で、それ以外の意見は
「無知によるもの」
「刷り込まれたもの」
「洗脳されたもの」


つまり私は「不幸にも正解にたどり着けていない人」になるようです。


「反差別やフェミニズムの観点から作品を見る」というのは、彼らにとって「視点の一つ」ではなく、「最終地点」なんですね。

「フェミニズムを通すと、作品が違って見えた」って仰った人たちは、「新たなフィルターを手に入れた」んじゃなく、「真理が見えるようになった」と感じてるんだ。

「まともな感覚を持った人ならあなたを認めません」
「あなたの周りはあなたをこう思っていますよ」

マイノリティを思いやろうとする人たちから、「あなたの考えはまともでなく、少数派」と言われてきました。

この人たちは、元々そういう、意見や意思を潰そうとするモノと戦っているのではなかったのでしょうか?

私は、苦しい思いをした人が、そういう思いをしない世の中になったらいいね、と思います。
しかしそれが、創作物の表現を平らにすることで可能になるとは思っていません。

物語は、私たちに直接なにかを強いているワケではないからです。

「ONEPIECEのオカマみてぇwww」って笑われたとして、悪いのはONEPIECEを使って人を殴ったそいつです。

ナイフを使った殺人事件で、ナイフを恨むようなもん。ONEPIECEを読んでどう行動するかは人によって違うし、行動した人がきちんと責任を取るべきことです。

ONEPIECEが悪いなんて言わせません。
ONEPIECEを読んで他の解釈を受け取ったこの私が、たった一人でも、居る限りは。

とはいえ、創作物は「世の中に私の思う正解の作品がない!」という理由から生まれていると思うので、納得のいくものを新たに作ったらいいと思いますよ。

それができないのなら、そういうものを探せばいい。
不正解だと思う人が多いなら、自然に淘汰されます。この辺は元記事の人の結論と同じですね。



私の結論を言います。

「正しさ」を表現に求めるという考え方も、「正しい」作品もアリだと思う。

でも、全ての作品が特定の「正しさ」に向かわないといけない、という考えはナシだと思うし、私が特定の「正しさ」を表現に求めないことを責められたり、他人から悪趣味だと糾弾される謂れはないです。

万人に受け入れられないものも存在することができるのが、多様性だと思うからです。


私は、自分の中の正しさとONEPIECEが相反しない限りONEPIECEに寄り添って生きていきます。

その考え方が、誰かを踏みつけにしていると感じる人も居るかもしれません。
でも、身近な人を大事にするとか、自分の信念に反することはしないとか、私はそういう生き方を選んでいくし、それが誰かの正しさと違っても、引け目を感じることはありません。

私が知らないうちに「誰かを踏みつけにしている」可能性はあるでしょう。
でもみんな、その可能性があります。

それに怯えながら暮らすんじゃなく、自分の向かい合ってる相手に自分の正しさで向き合えば、私はそれでいいと思います。正義の数は人の数だけあります。


今回差別について考える機会を持って、無知な私はひとつ賢くなれました。
私が今後やれることといえば「こういう表現で傷つく相手が居ることを忘れないでおく」ということです。傷つけないでいられる相手が、少し増えたかもしれないですね。


私は全力で自分の好きな表現を楽しむだけの、いちONEPIECEファンに戻ります。
関わってくれた皆さん、本当にありがとうございました。

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